愛媛大学ミュージアムで「弘法大師生誕1250年 弘法大師の生涯とかたち」展が始まりました【10月2日(月)から】

2023.10.02 お知らせ

 最新の研究成果とセンター所蔵の貴重な資料に、モートン・コレクションを加えた展覧会を開催します。
 開館情報は、愛媛大学ミュージアムホームページで確認ください。

【会期】
令和5年10月2日(月)~令和6年3月22日(金) 10:00~16:30 日曜日・年末年始休館、無料
【主な展示資料】
アルフレッド・ボナーの遍路用具(モートンコレクション)、弘法大師行状絵断簡、隅寺心経、真言十三仏弘法大師図、弘法大師絵伝、四国霊験奇応記
【関連行事】
公開講演会・シンポジウム「弘法大師生誕1250年 古代・中世の四国遍路」
令和5年10月28日(土)13:00~17:00 愛媛大学南加記念ホール、オンライン
参加申込は、こちらから(10月25日まで)。

展示1「研究最前線」
①ウォルシンガムの聖母―イングランド東部の聖母マリア巡礼地―(吉田正広)
②宗教的聖地が果たす地域資源―善通寺を事例として―(兼子純、石黒聡士、濱浪 陽、松﨑竜大、佐田修一郎、松下野乃花)
③モートン・コレクション(徳島大学モートン常慈)

展示2「弘法大師の生涯と信仰のかたち」
 空海は、奈良時代の宝亀5年(774)6月15日、讃岐国多度郡で誕生し、本年生誕1250年を迎えました。この地は屏風浦と呼ばれ、現在の善通寺の地とされます。父は佐伯田公、母は阿刀氏で、幼名を真魚と称しました。四国で修行をし、悟りを開いた真魚は空海となり、唐へ留学後、真言密教や様々な技術・文化を伝えます。死後、86年を経て醍醐天皇が弘法大師の尊号を贈ったことによって、大師は高野山奥の院で永遠の瞑想を続けるなどの新たな信仰が生まれ、広がっていきました。弘法大師の聖跡を結ぶ四国遍路は、その信仰のなかでも最も重要なものです。(胡光)

(1)空海の事蹟と信仰のはじまり
 唐へ渡った空海は、青龍寺で恵果に真言密教を学び、曼荼羅や法具、経典とともに日本へ伝えた。雨乞や溜池修復などの知識や技術は、飢饉に苦しむ人々を救った。これら空海の超人的な事蹟は、彼が伝えた大日如来や不動明王など新たな仏たちとともに、彼自身を崇拝することに繋がって、弘法大師信仰が生まれる。
(2)弘法大師の生涯
 空海の事蹟に、弘法大師の奇跡が加わることで、その生涯はより感動的で豊かなものになる。空海が下賜された京都・東寺で、南北朝時代に制作された「弘法大師行状絵詞」(国宝)がその後、弘法大師の正伝として広まり、さらに伝説が書き加えられていった。
(3)弘法大師信仰の広がり
 大師に所縁の場所、奇跡や伝説の舞台などは神聖視され、聖地として多くの信仰と信者を生み出した。その最も大きなネットワークが四国遍路である。信者を誘うため、案内本や霊験譚が発信されるとともに、土産の絵葉書や絵図、納経帳など聖地巡礼の記憶や記録が残されていった。八十八ヶ所を写した霊場が全国に作られ、四国遍路と弘法大師信仰は拡大を続けている。
(4)弘法大師信仰と四国遍路
 平安時代に、貴族を中心に、弘法大師が瞑想を続ける高野山参詣が盛んとなり、室町時代には、四国遍路と弘法大師を結びつける伝説が石手寺に現われる。江戸時代初期までに、八十八ヶ所も確定し、四国遍路は、修行僧による修行の旅から、庶民による大師霊蹟巡礼へと変化していった。江戸時代の案内図には、大師の伝えた曼荼羅の表す仏教世界が四国であることが記され、人々を誘った。現在も納経軸の中央には大師が描かれている。
 大師の教えには、この世の全ての物と心はひとつであるという。ロシアのウクライナ侵攻を見るとき、あらためて大師の教えに思いをはせる。