古代ギリシアにおける「巡礼」研究

2017.03.05 研究最前線

四国遍路・世界の巡礼研究センター員
齋藤貴弘(愛媛大学法文学部准教授)

ヨーロッパ世界において巡礼活動が活発化したのは、中世農業革命などを背景に生産性が増し社会が安定・活性化したことに加え、キリスト教信仰が民衆に浸透した11世紀からとされるのが、一般的である。では、それ以前に巡礼は存在しなかったのかというと、そうでもない。ローマ帝国下、スペインの修道女エゲリアが400年頃にエルサレムに赴いた紀行『聖地への旅』peregrinatio ad loca sanctaが残っており、これを最古の巡礼とする考え方もある。ちなみに、そのタイトルにもある「(異邦への)旅」を意味するラテン語peregrinatio(あるいはその形容詞peregrinus)が、英単語pilgrim(巡礼者)の語源に関わっている。

では、更に遡って古代、とりわけ筆者の専門とする古代ギリシア(前8世紀~前4世紀のポリスを主体とする時代)に巡礼を認めることはできるだろうか。こう問う時、二つの大きな問題(疑問)が浮かび上がる。一つは、今述べたように、今日、巡礼者を意味する英語pilgrimの元となっているのはラテン語であって、古代ギリシア語にはこれに相当する言葉は存在しなかった。コトバ(用語)が存在しないということは、その意味内容たる概念(ここでは「巡礼」という考え)とその実践(巡礼行為・巡礼者)というものが、古代ギリシア世界にはそもそも存在していなかったことを示唆する。そして、もう一つは、巡礼活動とキリスト教との繋がりである。古代ギリシアの宗教は、『ギリシア神話』でも知られるようにゼウスなどオリュンポスの12神をはじめとする神々の溢れる「多神教」であった。キリスト教=一神教と古代ギリシアの「多神教」—その宗教体系の違いは単に崇拝する神の数の違いにとどまらず、根本的に異質と言ってよいだろう。ここで、古代ギリシアの宗教の特性について詳しく述べる余裕はないが、聖書などの経典や教義の不在に加え、体系的聖職者組織の不在といった点を挙げるだけでもその歴然とした違いを十分示すことができよう。
こうした前提に立つと、時間軸と宗教体系という二重の意味で古代ギリシアに巡礼は存在しないという結論に至り、本稿もここで擱筆しなければならなくなってしまう。事実、巡礼をそのように考える立場もあるが、実際には「巡礼」をどう定義するのかという問題については、いろいろと議論がなされている。これについては、J. Elsner and I. Rutherford (eds.), Pilgrimage in Graeco-Roman & Early Christian Antiquity: Seeing Gods, Oxford, N.Y., 2005のIntroductionが参考となる。個々の差異は措くとして全体としては、狭義に捉えるよりも、より広義に巡礼を理解して、古今東西の様々な「巡礼」を比較検討する立場が、今日一般的と言ってよいだろう。上記の文献でも、そうした立場から、古代ギリシアから初期キリスト教時代までの様々な「巡礼」活動が論じられているし、I. Reader, Pilgrim: very short introduction, Oxford, 2015もまた、そうした立場から四国遍路を含めた世界の巡礼を扱った入門書となっている。(ちなみに、Reader氏は、本センターの前身「四国遍路と世界の巡礼」研究会が2009年に開催した第2回国際シンポジウムに山川廣司(愛媛大学名誉教授・本センター員)氏の招聘に応じて来日し、本学で講演している。その講演録はHPの「研究成果」からPDFで参照することが可能である。)

少々前置きが長くなってしまったが、今日の古代ギリシアの「巡礼」研究は、そうした巡礼研究全体の動向を踏まえてのものである。では、あらためて古代ギリシアの「巡礼」とは、どういったものであろうか。古代ギリシアの「巡礼」を包括的に扱った最初の成果としては、M. Dillon, Pilgrims and Pilgrimage in Ancient Greece, London and N.Y., 1997が挙がろう。ここで主に「巡礼」として取り上げられているのは、以下の4つの宗教活動である。
(1)古代オリュンピア競技祭など全ギリシア人共有の祭典〔パンヘレニックな祭典〕への競技者・観客としての参加。(オリュンピア祭・ピュティア祭・ネメア祭・イストミア祭が四大祭典として有名)
(2)医神アスクレピオスなどの神域で行われていた治療祭祀に与り奇跡の癒しを求める参詣。(エピダウロスやペルガモンの聖所が有名)
(3)デルフォイなど有名な神託所へ神託伺いに赴くこと。
(4)死後の安寧を保証した穀物神デメテルとペルセポネの聖域エレウシスで行われた秘儀への参加。
いずれも、ギリシア宗教を語る上で外せない重要なものばかりであるが、個々に直接的な繋がりがあるわけではない。また、これに加えて、上記(1)で挙げたパンヘレニックな祭典は2年乃至4年に一度開催されたが、その際には祭典期間中とその前後の期間、参加者・観客などの往来の安全を保障するために事前に開催国より各地に「神聖休戦」(エケケイリア・スポンダイ)を触れる使者テオロスたちが派遣された。そして、これを受けて、各ポリスは公式な使節(これもテオロスと呼ばれた)団を祭典に送り出した。この祭典に列席する使節団テオロスたち(テオロイ)は、公式「巡礼者」として扱われる。これに関しては、近年、I. Rutherford, State Pilgrims and Sacred Observers in Ancient Greece: A Study of Theōriāand Theōroi, Cambridge, 2013として包括的な研究も出されている。また、つい最近には、出版社のRoutledgeより巡礼研究シリーズの一冊として、 T. M. Kristensen and W. Friese (eds.), Excavating Pilgrimage: Archaeological Approaches to Sacred Travel and Movement in the Ancient World (Routledge Studies in Pilgrimage, Religious Travel and Tourism), London and N.Y., 2017も出版された(未見)。目次の情報からは、古代ギリシアのみならず、古代近東(メソポタミア)まで含む幅広い論考となっていることが窺える。

このように古代世界の「巡礼」研究は、古代ギリシアをはじめ非キリスト教圏(時代)をも含めて現在精力的に進められている。そして、そのことが世界各地の巡礼研究に資するところ少なしとしないことも期待され得るし、筆者もいずれ、そうした諸研究の成果を吸収しつつ、その一端を本センターの活動の一環として紹介する機会があればと考えている。
しかしながら、最後に稿を閉じるにあたって、敢えて最初の問いに立ち戻っておきたい。古代ギリシアに「巡礼」は存在したのか。この問いは、「巡礼」という宗教上の一実践的行為の存否に関わるだけでなく、一神教と「多神教」の本質的な相違の理解にも関わる問題でもある。そもそも「多神教」polytheismという概念さえ、後世になってユダヤ・キリスト教的立場から張り付けられたレッテルに過ぎず、多くの誤解を招く表現である。「多神教」とカギ括弧を付してきたのもそのためだ。古代ギリシアの宗教世界を「多神教」と表現した時点でキリスト教的価値観の枠組みの中に囚われ、そのことによって切り捨てられた要素は無自覚のまま捨象されていく。
「巡礼」研究にも同じ問題が潜んではいないだろうか。比較研究の豊かな可能性のためにキリスト教との相違をいったん捨象するとしても、その相違は決して軽んぜられるべきものではなく、「巡礼」研究の通奏低音として意識され続けなければならないもののはずだ。古代ギリシアの「多神教」世界からヘレニズム世界、ローマ帝国を経て、世界が一神教化していく道程の解明というより高次の問題にも連なって、こうした視座は極めて重要だと思われる。古代ギリシアの「巡礼」研究においては、「多神教」という差異を担保し続ける姿勢を維持しつつ複層的に比較検討していく姿勢が必要であろう。筆者としてはそのような立場から「巡礼」研究に携わっていくことで、翻って古代ギリシア「多神教」世界の特異性を浮かび上がらせていくことができればと考えている。

参考文献
M. Dillon, Pilgrims and Pilgrimage in Ancient Greece, London and N.Y., 1997.
J. Elsner and I. Rutherford (eds.), Pilgrimage in Graeco-Roman & Early Christian Antiquity: Seeing Gods, Oxford, N.Y., 2005.
I. Reader, Pilgrim: very short introduction, Oxford, 2015.
齋藤 貴弘「読書案内 古代ギリシアの多神教世界」『歴史と地理』 691 (世界史の研究246), 2016, 42-45.